2011年10月19日 (水)

防災訓練

710月16日日曜日に青葉区の北の端に位置する美しが丘地区の美しが丘小学校で行なわれた防災訓練に、青葉区歯科医師会からの要請で参加してきました。美しが丘小学校は医療救護拠点に指定されているとのことで,緊急時用に医薬品や飲料水の備蓄がされているようです。
私の役割はアマチャ無線の資格を持っていることから、無線通信の連絡担当として現場と青葉区医師会館、青葉区保健センターの中継をすることでした。朝8時集合で,中継所の簡易アンテナを設営し、何度か無線の交信の決まり事を確認しながらテストをして準備しました。
訓練では,体育館内で行なわれた模擬患者の状態を医師会館に待機している担当者に復唱したのですが,体育館内の携帯無線の信号が数キロ離れた医師会館の無線に直接届いて中継の必要がなくなったり、雑音が入って聞き取りにくいということで中継したりという、アナログ的な不安定さにレトロな感じを受けました。
この日は時期外れの暑さのためか実際の患者さんが発生してしまい,119番で救急車を呼ぶようなことも起きました。(これは携帯電話で行なったようです)
それはそれとして、無線の面白いことは,同じ周波数にすると複数の人の交信が傍受できることです。顔は見えないのですが,遠くにいる者同志が一堂に集まって話し合っている感じです。
アマチャ無線の資格を取ってみたのは,非常災害時の連絡手段として是非必要なことだとの青葉区医師会の主導の基,青葉区歯科医師会,青葉区薬剤師会にいっしょに災害時の連絡網を構築しようと言う呼びかけに賛同したからです。実際訓練に参加した地区の方も,前回の大震災時に携帯電話が繋がらないことを経験したからか,いろいろな質問を受けました。
訓練の参加人数は地区の一般住民400名、医師会、歯科医師会、薬剤師会、消防団、区役所関係100名強で500人を優に超しました。昨年の参加者を大幅に上回ったそうです。


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2011年3月21日 (月)

安全基準

 雨が降っています。大気中に放射能が立ち込めているので雨にはぬれない方が良いとの報道がされていますが、また、濡れても心配には及ばないとも報道されてます。
 ほうれん草や、牛乳、飲料水も国が認めた基準値を越えているが、健康にさしさわるほどではないと報道されてます。原子力発電所で放水や修復作業員の被爆線量も、基準値を超えることに配慮されているようです。
 結局、人体実験して定められた数値ではないし、人体実験したところで、個人差が大きいと考えられるので、曖昧な基準値となるのでしょう。
 同じような基準に賞味期限などもありますね。
 放射線量にしては、CTを撮影した場合の線量が比較されていますが、それに比べるとかなり低いようです.昔、中国で原爆の実験をしていた頃、死の灰だと言って脅かされたことを思い出しました。
 想定外の天災とはいえ、核分裂を人間の英知で完全にコントロールするにはまだ少し時間がかかるということなのでしょうか?

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2011年3月19日 (土)

被災者の反応

 災害から一週間が過ぎ、原子力発電所の危機的状況も一段落のようなニュアンスのニュースに変わってきています。災害復興への取り組みも少しずつ行われてきているようです。
 そんなニュースで気にかかることがあります。被災されているにも関わらず、周囲の人のことを思って、ボランティアをしている方もおられると思えば、五体満足そうなのに、行政などの支援活動が不満足だと不満をあからさまに訴える方もおられます。そのような反応が自然なのかもしれませんが、被災されている自分の立場をかんがみず、もっとひどい状況の隣人を助けようとする姿勢には感動します。こんな状況こそ、人間の資質が問われるような気がします。

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2011年3月17日 (木)

神風特攻隊

 原子力発電所の危険な状態が刻々ニュースになっています。専門家によって見解の相違があるようですが、対応を間違わなければ最悪の事態にはならないような雰囲気ですが、実際はどうなるのでしょうか?
 避難場所を探しに右往左往する方がいて、かたや危険覚悟で現場に残って事態の沈静化に全力を尽くされている方もおられます。立場の違いと言ったらそれまでですが、何か変な感じがします。
 現象を沈静化するためには、現状ではいかにして使用済核燃料の保管庫に水を注入するかということらしいですが、放射能レベルが高く作業する方の人体に及ぼす影響が懸念されているので、しっかりした対応ができないとのことです。放射能レベルがどれほど危険な状態なのかわかりませんが、最悪の事態になったら、そんな些細なことで躊躇していたことを後悔するに違いないと思います。作業するかしないか決めかねている作業員だけでなく、周囲何十キロの住民皆が被爆し、付近は壊滅的な状況になってしまうのですから。
 ということとは、事態はそれほど危険な状態でなく、作業員の被爆量の危険度を天秤かけられる程度なのでしょうか?
 我々の親の世代は、数多くの若者が日本のためと言って、犠牲的精神で神風特攻隊に志願したと聞いてます。良いか悪いかは別の話しとしても、ずいぶん世の中は変わったものです。
 

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2011年3月14日 (月)

地震津波報道

 大変な天災です。どのテレビ番組も通常の娯楽番組を止めて朝から晩まで災害の報道を行っています.どの番組も、似たり寄ったりの番組を提供するなら、数社に絞った方が、効率よく、しかも電気エネルギーも無駄にしないで済むような気がしますが、出来ない相談でしょうね。まるで乱立している政党間の争いのようでもあります。中国のように一党独裁なれば、そんな無駄なことはしないでしょうね。これも民主主義の必要悪なことなのでしょうか?
 同じような報道が繰り返されるに付け、私みたいな傍観者の好奇心を満足させるために取材するより、被災された方の手助けになるようなことにエネルギーを使っていただきたいものだと考えてしまいます。
 それにしても、こんなことも起こるのですね。まさに、想定外の天災のようです。
 以前、東京タワーの展望台でお台場や墨田川を高みの見物した時、ミニチアの模型のように見えたので、あの水が少し揺れたら、町中水浸しになるような感じがしましたが、そんなことが三陸沿岸で起こったようです。改めて、奇跡的な微妙なバランスを保っている地球環境で生活していることを実感しました。

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2010年12月12日 (日)

ノーベル平和賞

 ノーベル平和賞の授賞式が本人・親族欠席という異例の状態で行われたようです。http://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20101211-00000006-jij-int
http://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20101211-00000557-san-int
 中国政府の圧力で、17カ国の要人も授賞式の招待を辞退したとのことです。中国政府は、国内法に基づいて犯罪者として禁固されている人物を「ノーベル平和賞」の受賞者とするのは内政干渉として、ノーベル平和賞の選考委員会およびノルウェー政府を批判しています。
 誰が考えても、中国政府が唱えている主張には無理があると思えるのに、17カ国もの国が同調するのは経済の力なのでしょう。中国は軍事力も相当強化しているようですし、怖いですね。
 「ペンは剣よりも強い」?
 「パンはペンより強い」?

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2010年11月25日 (木)

北朝鮮の言い分

 北朝鮮がまたとんでもないことをしたようです。拉致事件、航空機爆破事件、潜水艦による韓国船の撃沈事件もありました。意図的に仕組んだことなので、北朝鮮には北朝鮮なりの大義というか、その行為を正当化する理論を構築しての行動なのでしょうが、全く理解できません。あんなひどいことでも、正当化する理論を構築できるのは、人間が言葉を操れるからなのでしょう。世界中の交戦国はどちらも、自国の考えと行動が正しくて、相手国が悪いと言い合ってます。多分、利害関係がなければ、仲良くやっていけるのに、損得感情がお互いを殺し合いをするほど憎み合う理由をつくりあげてしまうのでしょうか?何かの本で読んだのですが、アメリカではdebate練習のため、あるテーマに対して賛成・反対を交互に交代して討論し合うそうです。言葉をうまく操れば良いことも悪くできるし、逆もまた可能なのでしょう。詭弁という言葉がありますが、人間はほんとに狡賢くなれるものです。
 尖角諸島問題や、北方領土問題、竹島問題など何一つすんなり解決しそうにありません。相手の心に響く言葉をうまく利用して、話し合いによってお互いに納得できるような解決を望みたいものです。

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2010年10月10日 (日)

ノーベル平和賞

 ノーベル平和賞が中国政府に国家反乱罪?で服役中の作家に授与されることになった。中国政府からの脅しを受けつつもひるまない姿勢がすごいですね。それより、中国政府から生命の奪われるかもしれないのに、自分の信念を貫き通している劉暁波氏はもっと偉いです.
 歴史上にはたくさんのそのような英雄の名が出てきますし、悪役となっている今の中国の執行部名前も歴史に刻まれるでしょう。そのような不名誉を甘受することになるだろうことを中国の執行部は認識しているのだろうか?
 情報化社会でなかったら、たぶん国家反逆罪で死刑になっていたと思われますし、情報化社会であるから、中国政府は巧みにそれを操って反体制家の勢いを押さえ込んでいられるのでしょう。中国も豊かになったから命がけで正義のために戦うようなエネルギーが若者の間に蓄積されないのでしょう。
 中国はその程度のようですが、北朝鮮やミャンマーはもっとひどいようで、『ペンは剣よりつよし』という言葉もうつろに聞こえます。武力を背景に理不尽な政策を押し付ける政府に対しては、多くの大衆が命がけで戦わないと民主自由は得られないことなのでしょうか?
 第二次世界大戦前は日本も同様な状態であったそうですが、幸運のことに内戦もなく、今ではちょっとしたスキャンダルで首相の頚が飛ぶ社会で生活できることに感謝です。

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2008年2月12日 (火)

割りばし事故死

 事件当時4歳の男子が綿あめの割りばしをくわえたまま転倒し、大学病院に運ばれたが担当医師は薬をのどに塗るなどして帰宅させたところ、翌朝死亡した。その後の解剖で頭蓋内に約7・6センチの割りばし片が刺さっているのがわかったことで、両親が医療ミスだとし、大学と担当医師に損害賠償を求めた裁判で、裁判長は当時の医療水準では頭蓋内損傷の可能性があると診断することはできなかったとし、原告の訴えを退けたとの報道が有った。
 こんな事件が有ると昔脳外科医になった友人が、「臨床するのがいやになったから研究者の道に進もうと思っている」と言っていたのを思い出します。なぜかと聞くと、「やっとの思いで、命をとりとめられたから良かったと安堵しても、患者や患者の家族はそれだけでは満足してもらえなくて、障害が残ったのは何か医者がミスをしたからだと言われたり、直接は言われなくてもそんなそぶりをされるのが耐えられない。」とのことでした。歯医者の私にしても、同様な経験はありますが、扱う疾患の重要度が違うので、「大変だね」という言葉をかけるのが精一杯でした。
 愛する子供が死んでしまった親の立場から考えれば、どうしてもっと注意深く診断してもらえなかったのかと考えれば考える程怒りが込み上げてくることと思います。担当医師にしても、今から考えればどうしてひょっとしたら割りばしが突き刺さっているかもしれないということが頭に浮かばなかったのかと悔やんでいるに違いないと思います。でも取り返しのできない事件は起きてしまった。かなしいことです。
 航空機事故が起きた場合、再発予防のために徹底した原因究明がなされるようですが、アメリカでは当事者からの証言を得やすくするため刑事責任や民事責任を問わないことが原則となっているようです。これは、個人の過失責任を責めることよりも、事故の原因を純粋に科学的に究明し過失が起こる状況を改善することの方が、再発防止になると考えているからです。医療事故にも通じるものがあるのではないでしょうか。

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2006年10月30日 (月)

履修漏れの高校校長自殺

 いじめを苦にした中学生のニュースが相次ぐ中、履修漏れの高校校長自殺の報道がされました。多分まじめで責任感の強い先生だったのではないかと思うのですが、責任を追及される対象となる状況に耐えられないと考えた末の自殺なのでしょう。でもあえて言いたい。『こんなことで死ぬなよ』
 こんな程度の事で自殺するなんて、情けなくないですか?どうどうと釈明して、善後策を打ち出して踏ん張ってもらいたいものです。それが教育者の生き方ではないでしょうか。長い人生、一つの判断ミスもなく全うするなんてことはあり得ないことだから、そんな難しい局面でどう生きるかを生徒に見せてほしかったものです。
 とはいうものの、いじめを苦に自殺した中学生の校長への報道機関の追求を見ると、これこそ『いじめ』だとおもえるような過酷さがあって大変そうです。寸分のミスも許さないとする、とにかく対象のアラをほじくり出して得意がるようなニュース番組の姿勢には問題を感じます。
 もちろん、権力者の汚職事件のように、悪意を含有する事件は徹底的にやってほしいものですが、だれでもやってしまいそうなミスがらみの事件は、人間的な寛容の目で、どうしたらそのような事件が起こらないようにできるのかを考えさせる視点で追求してほしいものです。

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