2008年2月12日 (火)

割りばし事故死

 事件当時4歳の男子が綿あめの割りばしをくわえたまま転倒し、大学病院に運ばれたが担当医師は薬をのどに塗るなどして帰宅させたところ、翌朝死亡した。その後の解剖で頭蓋内に約7・6センチの割りばし片が刺さっているのがわかったことで、両親が医療ミスだとし、大学と担当医師に損害賠償を求めた裁判で、裁判長は当時の医療水準では頭蓋内損傷の可能性があると診断することはできなかったとし、原告の訴えを退けたとの報道が有った。
 こんな事件が有ると昔脳外科医になった友人が、「臨床するのがいやになったから研究者の道に進もうと思っている」と言っていたのを思い出します。なぜかと聞くと、「やっとの思いで、命をとりとめられたから良かったと安堵しても、患者や患者の家族はそれだけでは満足してもらえなくて、障害が残ったのは何か医者がミスをしたからだと言われたり、直接は言われなくてもそんなそぶりをされるのが耐えられない。」とのことでした。歯医者の私にしても、同様な経験はありますが、扱う疾患の重要度が違うので、「大変だね」という言葉をかけるのが精一杯でした。
 愛する子供が死んでしまった親の立場から考えれば、どうしてもっと注意深く診断してもらえなかったのかと考えれば考える程怒りが込み上げてくることと思います。担当医師にしても、今から考えればどうしてひょっとしたら割りばしが突き刺さっているかもしれないということが頭に浮かばなかったのかと悔やんでいるに違いないと思います。でも取り返しのできない事件は起きてしまった。かなしいことです。
 航空機事故が起きた場合、再発予防のために徹底した原因究明がなされるようですが、アメリカでは当事者からの証言を得やすくするため刑事責任や民事責任を問わないことが原則となっているようです。これは、個人の過失責任を責めることよりも、事故の原因を純粋に科学的に究明し過失が起こる状況を改善することの方が、再発防止になると考えているからです。医療事故にも通じるものがあるのではないでしょうか。

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2006年10月30日 (月)

履修漏れの高校校長自殺

 いじめを苦にした中学生のニュースが相次ぐ中、履修漏れの高校校長自殺の報道がされました。多分まじめで責任感の強い先生だったのではないかと思うのですが、責任を追及される対象となる状況に耐えられないと考えた末の自殺なのでしょう。でもあえて言いたい。『こんなことで死ぬなよ』
 こんな程度の事で自殺するなんて、情けなくないですか?どうどうと釈明して、善後策を打ち出して踏ん張ってもらいたいものです。それが教育者の生き方ではないでしょうか。長い人生、一つの判断ミスもなく全うするなんてことはあり得ないことだから、そんな難しい局面でどう生きるかを生徒に見せてほしかったものです。
 とはいうものの、いじめを苦に自殺した中学生の校長への報道機関の追求を見ると、これこそ『いじめ』だとおもえるような過酷さがあって大変そうです。寸分のミスも許さないとする、とにかく対象のアラをほじくり出して得意がるようなニュース番組の姿勢には問題を感じます。
 もちろん、権力者の汚職事件のように、悪意を含有する事件は徹底的にやってほしいものですが、だれでもやってしまいそうなミスがらみの事件は、人間的な寛容の目で、どうしたらそのような事件が起こらないようにできるのかを考えさせる視点で追求してほしいものです。

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2006年10月26日 (木)

いじめと日本社会

 前々回のブログでいじめについて私見を述べましたが、いじめ現象は日本社会のいたるところに存在しているのではないかと思います。大企業と下請け企業との関係や、クラブの先輩後輩の関係など、立場の強い者が、弱者が反抗できないことを見込んで無理難題を課すことが、あまり罪悪感もなく行われているように感じます。
 戦争中の古参兵の新兵いじめは相当きつかったようですし、忠臣蔵の発端となった松の廊下の刃傷事件もその線だったようです。日本社会は優位な者の横暴を許してしまう風土がありそうです。
 日本語自体、話し相手同士の上下関係がはっきりしないと敬語問題でぎくしゃくしてしまいます。ということは、意識に上らないまでも、お互いの上下関係に相当気を使って毎日の生活を送っているのではないでしょうか。優位の者は横柄な態度をとることが許されるし、下位の者は侮辱的な事を言われてもだまっていなければならない。本来対等な関係のはずのクラスメートの中にも自分が上位の者になれば、生徒として、子供として甘んじて受けていた屈辱感をはらす対象ができるということかもしれません。
 今の日本経済の景気拡大が戦後最長に並び、多くの大企業は過去最高益を上げているようです。その反面中小企業の倒産、廃業件数も相当な数字になっているようです。対等の関係でフェアーに競争するのを是とする社会の構築が望まれます。水戸のご隠居さんの印籠がなくても、正義が勝つ社会でなければ……。

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2006年10月19日 (木)

いじめによる自殺

 若年者のいじめを苦にする自殺事件が最近よく報道されます。自殺に追い込まれる状況はかわいそうだと思いますし、同情します。でもそういう状況を自殺で決着つけるという解決手段を選択するのはおかしいと思います。
 生物の生の営みを映像で見せてくれるテレビ番組は好きでよく見るのですが、自然界に生きる動植物のたくましさを見せつけてくれます。彼らは生きて子孫を残すことに文字通り命をかけてサバイバルしています。生きることは食うか食われるかの生存競争なのです。警察も裁判所もない、管理者の学校の先生もいない世界で生き延びなければならない動物はホントに偉い。
 変なことをされたり言われたりしたら、反論すればいい。生きていくのだったら悪い奴らに立ち向かう勇気を養わなければならない。反抗してもどうせやられるだけだからと、最初からあきらめてしまうのは男じゃない。西部劇や、侍映画を見て勉強しなければならない。
 とはいっても、どうしようもなく繊細で心が傷つきやすい人もいるし。そのような人のデリカシさで文化が、芸術が成り立っているのも事実だし。人間の社会はホントに難しく複雑です。それにしても、集団で弱者をいじめる奴らはとんでもなく腐っている。

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2006年9月11日 (月)

9.11テロと階段

 今日は9.11。ニューヨークの貿易センタービルに旅客機が飛び込んだ日です。テレビで実況中継された、ハリウッド映画のシーンのような映像に驚きました。高校時代の同級生がそのビルで働いていたにもかかわらず、難を逃れたと後で聞いたのも驚きです。
 彼は、たまたま隣のビルに突っ込む飛行機を目撃してただならぬ事件が起きたことを直感し、どうしたものか度々迷いながらも結果として適切な判断を下し、崩壊前にビルから脱失できたそうです。最終的にはエレベータは止まってしまったので、数十階も階段を下ったそうです。途中、救助に向かう消防士に道をゆずったり、足の不自由な人を追い抜くわけにもいかないので、ぞろぞろとゆっくりしたペースでしか降りれなかったそうです。それでもパニックにならなかったのは、だれもあんな大きなビルが崩壊するとは考えられなかったからだろうと回想されました。
 先日お近くのマンションの6階に住まわれている患者さんが『総入れ歯が壊れて食事ができないので困っている。娘に入れ歯を持たすから直してくれ』との電話がありました。『入れ歯は精密機械のようなものなので、本人がいらっしていただけないとぴったりしないから来院してください』と返答しましたら、『ここ5.6日エレベーターが点検中で止まっているから外出できません』とのことでした。結局娘さんに持ってきていただき、その場で修理して持ち帰っていただきました。
 この間の停電事件もそうですが、文明により作られた便利さは、ちょっとした狂いで崩壊するもろい一面を含有しているものです。異常気象や、地震津波の災害を考えると、文明だけでなく、自然環境も同様なのかな。

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