2010年5月21日 (金)

患者さまの期待

 毎日歯科医として、患者さんの訴えをお聞きしてその要望に応えるように仕事ができれば良いと考えております。さまざまな要望を訴えられるわけですが、それらになるべく忠実に答えられるよう研鑽しなければなりません。もちろん無理な要望には応えられませんし、患者様の健康を損なうようなことはできません。
 先日NHKのドキュメンタリーで、あるヨットマンの生き様が放映されていました。何か流れが変に思えていたら、そのヨットマンが世の期待に応えられない状況となり自殺したとのことでした。番組のテーマはその自殺ではなかったのですが、自分としては自殺に至った経緯に共感するものがあり、怖くなりました。そのヨットマンは、趣味のような感覚でヨットを楽しんでいたのですが、権威のあるレースで優勝してしまったことから、スポンサーがつくことになり、今度はレースに臨むにあたって、スポンサーの期待に添うような結果を出さなければならない立場になってしまいました。そこで、前回同様の結果となれば万々歳だったのですが、今回は当てが外れて無惨な結果となり合わせる顔がないとして、自らの命を絶ってしまったようです。昔の東京オリンピックの時、円谷選手というマラソンランナーがいて、同じような悩みで自殺した事件がありました。
 期待に応えられないことはつらいことです。自分のやったことに100%の自信があれば救われますが、1%でも、他により良い方法があったかもしれないと反省させられる時はつらいです。やり直しのきかない仕事をしているということを肝に銘じてしっかりやらなければなりません。

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2008年10月 8日 (水)

死と闇と苦しみ

 先日の新聞に、唯一動かせる右ほほの筋肉の動きを利用して周囲の方とコミュニケーションを保っている重症筋無力症の患者さんの記事が掲載されていました。そのほほも病気の進行で動かしにくくなってきているので、動かなくなったら、人工呼吸器を外してほしいと担当医に依頼されたとのことでした。病院としては、人工呼吸器を外すということは、その患者さんを死に至らしめることなのでできないと答えているようです。また、病院長は、難しい問題なので、広く世間で議論していただきたいともコメントしていました。
 患者さんの境遇を推察すると、闇の中にひとりぼっちにされて悶々とした思いだけが頭の中に駆け巡るようなことなのでしょうか?どんなに苦しくても、治る可能性があれば頑張れるでしょうが、その見込みがゼロとしたら、ただただ苦しい時間を長くしているだけのように思えます。それだとしたら、死の恐怖よりいつ終わるとも知れない苦しみの方が堪え難いもののように思えます。
 本日同い年の知り合いの歯科医が急逝したとの知らせをいただきました。生死の問題は考えても考えても納得いく答えが見つかりません。与えられた時間を、与えられた境遇で何とかやっていけば良いのでしょうか?

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2008年5月13日 (火)

硫化水素自殺

 硫化水素を使った自殺事件が問題となっています。東京都では今年に入ってすでに34人にもなっているようです。そのうち20代が6割をしめて19人だそうです。欧米の自殺者は老人が多いのに、日本は若者が多いのが特徴的だと、昔何かの本で読んだ記憶が有りますが、その傾向は変わってないのでしょう。毎年日本全体で3万人以上の自殺者がいるなんて異常です。
 自省的で自虐的な要素が大きい日本人のメンタルティに自殺志向が潜在的に存在するような気がします。「おれは河原のかれすすき」なんて流行歌もあったし、ジェロで話題になっている演歌は悲しみに浸っている雰囲気が美的なんですよね。カラ元気を装っているより、悲しみに浸っているほうが充実感があるような感じがするのが日本人なのかもしれません。困った風潮です。

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2006年12月15日 (金)

朝日新聞の『いじめ』連載記事

 1ヶ月以上前からだと思いますが朝日新聞の朝刊に、「いじめられている君へ」と「いじめている君へ」のタイトルで有名人が日替わりで短い文章を連載しています。多くの方がいじめられたり、仲間はずれにされた経験があるようで、その対処法を経験談から述べられています。
 多くの方が、自分が没頭できる分野を持つことにより疎外感から解放されるというようなことを書かれていました。他人の評価に惑わされない自我を確立するということなのでしょう。とはいっても、人間と言う言葉は人の間と書くわけで、社会生活するのが人間であるから、その中に属して快い仲間と仲良く生活したいものです。孤立するのはつらいことです。若いときにそのようなことができたから有名人になれたのかもしれませんね。
 それから、いじめている人に対して、何気ない悪意のない言葉でも、受け手にとってはショッキングに聞こえることもあるので注意をしようと呼びかける文章もありました。自分のことを振り返っても、10代の頃はいろいろなことがコンプレックスの対象になって、ささいなことで悩んでいたことを思い出します。
 

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2006年11月18日 (土)

I stand alone.

 先日喜劇俳優のチャップリンの特集番組を見ていたら、『I stand alone.』という言葉を書き残していたということがクローズアップされていました。喜劇俳優として名声を博し、大衆受けする線で身を処すれば安穏な人生を送れたのにも関わらず、自分の信念を通して世間の白い目を浴びながらの生き方は相当気骨のいることだったでしょう。
 人間、応援されると心強いし、頑張る意欲も湧くものです。サッカーなどもサポーターは12人目の選手などとも言われます。病人の看病や、介護の現場でも、精神的なサポートが重要だとされてます。いじめなどの問題もカウンセリングの環境が整っていれば、自殺する程には追い込まれないでしょう。
 でもやはり、『I stand alone.』できる強さを持つことも必要なんですね。『赤信号みんなで渡れば怖くない』かもしれませんが、一人のけ者になっても自分は渡らない立場を保つ勇気を持つことも必要なのでしょう。
 『人間の最大の弱点は心が弱いことだ』というプレーズを何かの本で目にしたことが思い出されます。些細なことに意固地になって世間と対立するのは滑稽ですが、孤立するのが怖くて世間に迎合して自分を見失うのも情けない。何が正解なのかだれも教えてくれないこの世はホントに複雑だ。

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2006年9月 3日 (日)

10代の若者による人殺し

 10代の若者による人殺しが最近よくニュースになります。ここ数年増加してきているようです。数日前も稚内で長男が実の母親の殺人を友人に依頼し、実際に殺害した事件が起きました。一言で言って信じられません。
 自然界で同種の殺すのは人間だけだそうです。縄張り争いや、配偶者の獲得のために、あるいは覇権争いで、激しく戦うこともありますが、どちらかが明らかに優勢になったら敗者はしっぽを丸めて引き下がり、勝者は後を追いかけてトドメを刺すようなことはしないようです。これは本能的なことなのでしょう。
 人間はなぜ人殺しをするかについてはいろいろな理由が挙げられていますが、私は言葉で考えてしまうからだと考察します。直面した現実を不完全で誇張した言葉に置き換え、その言葉で作られたイメージの世界で現実的な対応からかけ離れた間違った結論を導きだしたためだと考えます。言葉により人間は実際に目の前に起こっていない事物を考えることができますが、自分が選んだ言葉が現実をそのまま表しているものではないことに気づかなくなってしまうことが正しい判断をさせなくなってしまう原因だと考えます。激しい言葉は人間を興奮させてしまったり、不安をかき立てることもあります。
 チンパンジーに言葉を覚えさせる実験をしたところ、言語力が発達するにつれて、人間がある言葉に反応することに気づき、それを利用して嘘をつくようになったそうです。しかしながら、いっしょに生活している研究者の気持ちを読む能力は気味悪い程だとも書かれていました。(マインドウオッチング  新潮新書)
 自然環境から学べなくなった人間の教育は難しいものと言えるでしょう。

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2006年7月15日 (土)

病気と遺伝子

 7/13(木)いつもどおりに夕刻6時に仕事を終了してから、遺伝子と病気、老化の関係についての講義を聴講してきました。30年前の学生時代の講義には全く取り上げられていなかった話題ですので、新書などに目を通してアップデートの情報にも接していようと努めていたのですが、人の言葉を介して説明を聞いてやっと少しわかった気がしました。それにしても、この分野の研究の進歩には驚かれます。
 膨大な遺伝情報のたった一つが壊れても重篤な病気が発生してしまうことを知り、日常の生活が普通にできることの不思議さを再確認できました。また、試験管レベルで遺伝情報を操作して、生命現象の一端である酵素の働きを人為的にコントロールすることはできるようですが、命(定義が難しいですが)を人為的に発生させるハードルは限りなく高く、遠くにあるようです。まだ、現在の遺伝子工学では人的に作られたソフトに従って動く人工頭脳を持ったロボットというところなのでしょう。それにしても、大変なことが人為的にできるようになってしまっているようです。

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